2013/4/12

今年の河原投手は先発で復活を目指すそうです。

2012/9/26

『二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS』に河原投手のインタビュー記事が掲載されました。

2012/9/18

 『二宮清純責任編集 SPORTS COMMUNICATIONS』に河原投手のインタビュー記事が掲載されました。

2012/6/24

愛媛マンダリンパイレーツでは、6月24日付で次の選手の出場選手登録(ベンチ入り25人枠)をいたしましたので、お知らせします。

【出場選手登録】 6月24日付

愛媛マンダリンパイレーツ 投手 70 河原 純一

愛媛マンダリンパイレーツ 内野手 9 浜咲 祐大


2012/5/18

 河原投手は6月には戦列に加わる予定のようです。


マッピーつぶやき   河原選手とマッピー、ますくまんはなかよし!

 河原投手のめっちゃいい笑顔が!!

2012/4/13

2012ホーム開幕戦(4月22日:宇和島丸山球場 13:00試合開始 対高知FD)のCMが出来上がりましたのでぜひご覧ください!皆様のご来場をお待ちしております!

2012/3/14

 野球の独立リーグ、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツに入団した、巨人や中日で活躍した河原純一投手(39)の入団会見が13日、松山市東石井6の県民球団事務所であった。「独立リーグでのプレーは、今後の野球人生で財産になると思う」と語った。背番号は小学4年の時、町内会の少年野球チームで生まれて初めて身につけたのと同じ「70」。

 河原投手は11年に中日から戦力外通告。しかし「これで終わりと思えなかった」と現役続行を表明。先月、薬師神續球団社長が直接河原投手を訪れ、同球団の地域貢献活動や、今季優勝への強い思いを伝え入団の要請をしたところ、「独立リーグ発展への強い思いを感じた」と受諾した。

 今季同球団へ入団する元ロッテの橋本将選手と同じく、河原選手も日本野球機構(NPB)復帰を目指しており、シーズン途中でも復帰できる契約だ。

 河原投手は95年、駒澤大からドラフト1位で巨人入りし、05年に西武へ移籍。09年から中日でプレーしていた。
(毎日新聞 2012年3月14日 地方版)

2012/3/13

愛媛マンダリンパイレーツHP チームからのお知らせ一覧


河原選手入団!

愛媛マンダリンパイレーツのマスコットキャラクター、マッピーのブログ

2012/3/2

 愛媛マンダリンパイレーツは、この度入団することとなりました河原選手の入団会見を下記日時にて開催いたします。

日時:平成24年3月13日(火) 10時〜 
場所:愛媛県民球団 会議室
松山市東石井6-12-36 電話 089-914-8102

出席:河原純一選手、薬師神績(球団代表)、星野おさむ(監督)

2012/2/22

 愛媛マンダリンパイレーツのマスコットキャラクター、マッピーの2月22日のブログで河原投手について書かれています!
 
2012/2/22

 昨年、プロ野球の中日から戦力外通告を受けた河原純一投手(39)が今季、四国アイランドリーグplusの愛媛マンダリンパイレーツ(MP)でプレーすることが21日、確実となった。近日中に正式発表される見通し。
 球団関係者によると、昨年11月末、神戸市であった12球団合同トライアウト(入団テスト)に参加していた河原投手と接触。今年1月以降、水面下で交渉を重ね、2月中旬までに入団の合意に至ったという。
 河原投手は駒大から1995年、ドラフト1位で巨人に入団。2002年にはストッパーとして、チームのリーグ優勝と日本一に貢献した。05年に交換トレードで西武へ、09年には中日に移籍。11年10月に戦力外通告を受けながらも11月、日本シリーズに登板した。通算成績は275試合、31勝42敗40セーブ、防御率4・26。
 (2012年2月22日付 愛媛新聞社 ONLINEより)

2011/11/15

プロ野球日本シリーズ、中日2−4ソフトバンク(15日、中日2勝1敗、ナゴヤドーム)今季限りで戦力外となり、中日のユニホームを脱ぐ38歳の河原が1−3の七回に3番手で登板し、1回を無失点で切り抜けた。

 2死から安打と四球で一、二塁のピンチを招き、打席に左の長谷川を迎えた。ここでベテランらしく冷静さを保ち「左打者だから代わるかもしれないと思ったが、自分を追い詰めないように投げた」と、切れのある球で三邪飛に打ち取り、役目を果たした。
 (2011年11月15日付 SANSPO.COM記事より)

2011/10/24

 来季の構想から外れている中日・河原純一投手(38)が23日、ナゴヤドームでの1軍練習に合流。CSに向けて調整していくことになる。
(2011年10月24日 中日スポーツ記事より)

2011/10/20

 中日の河原純一投手(38)が戦力外となる見通しであることが19日、分かった。落合監督はヤクルトとのレギュラーシーズン本拠地最終戦後、「やれるところがあれば現役を続ける」と説明した。

 河原は巨人、西武でプレーし、2007年オフに西武を自由契約となった後、1年間のブランクを経て、テスト入団で09年に中日に加入した。今季は30試合の登板で1勝4敗だった。
 (2011年10月19日付 日刊スポーツより)

2011/10/20

登録抹消ですがこれは予定通りでしょう。
CSまでの約二週間でどれだけ首脳陣にアピールできるか。
2011/10/19
本拠地最終戦でようやく来ました!
約二か月ぶりの一軍昇格です!

2011/08/08

河原投手の二軍行きが決まりました。
チームの調子が思わしくない状況での離脱は本人も相当悔しいと思いますが、おそらく疲れも溜まっていた事でしょうし、リフレッシュも兼ねてファームで上手く調整してきてもらいましょう。
2011/06/29
約一ヶ月ぶりの一軍昇格です!
二軍では防御率1.29と抜群の安定感を見せていたので、過密日程でへばり気味な一軍中継ぎ投手陣の救世主になってもらいましょう。

2011/05/27

河原投手が出場選手登録から外され、二軍行きが決まりました。
交流戦の余裕ある日程で登板機会も少なそうなので、調整するには丁度良い機会だと思います。

2011/05/18

中日の河原純一投手(38)は17日、出場登録日数が8年に達し、国内移籍が可能なフリーエージェント(FA)の資格取得条件を満たした。
 河原はドラフト1位で1995年に巨人に入団。2007年オフに西武を自由契約となった後、母校の駒大などで練習を続け、08年オフに入団テストを経て中日に入った。(2011年5月17日付 時事ドットコムより)

実働14年目、プロ入りして17年目でついにFA権取得です!
ケガや浪人を経てよくここまで頑張ってきてくれました。
河原投手、おめでとうございます!
本人は権利を行使するつもりはなく、このまま中日で優勝に貢献したいとの事です。

2011/04/10

河原投手がついに開幕一軍の切符を手にしました!!
西武に移籍した2005年以来、6年ぶりになります。
今年はケガなく一年間フルに活躍してくれる事を期待します!

2010/10/24
河原大ピンチ斬り、古巣相手に/CS

 ポーカーフェースは短期決戦でも健在だった。中日河原純一投手(37)が5回1死二、三塁の一打同点というピンチで好リリーフ。代打長野を見逃し三振に仕留めると、坂本も二ゴロ。6回も2番からの好打順を3人で抑え、1回2/3を無失点。「自分の役割を果たせればといいかなと思って投げました」と振り返った。巨人時代には、原監督の初年度02年に守護神を任され、日本一に貢献。この日は強烈な「恩返し」を果たしてみせた。
(2010年10月24日付 日刊スポーツ記事より)


小田&河原 古巣巨人に痛烈な“恩返し”

  かつて巨人のユニホームを着た苦労人たちが古巣に痛烈な「恩返し」を果たした。05年オフにFA移籍した野口の人的補償として中日に移った小田と、浪人を経て08年オフに中日にテスト入団した河原が流れをつくった。

 小田は4回2死一、二塁から左中間へ適時2点二塁打。「ストライクは全部打とうと思っていた。先制点が欲しかったし、次(の打者)が投手だから気持ちで打った」。河原は2点リードの5回1死二、三塁で登板。長野、坂本を打ち取り、見事1回2/3をパーフェクトに抑えた。かつて巨人の守護神も務めた男は「自分の役割を果たそうと思って投げた」と胸を張った。
(2010年10月24日付 スポニチアネックス記事より)


中日の元G戦士、小田&河原がキラリ活躍

  元G戦士が勝利を呼び込んだ。四回には小田が左中間へ、先制の2点適時二塁打点を放ち「試合に出る喜びを感じた。何らかの形で残したいので、よかった」。五回一死二、三塁からは河原が救援で登板すると、長野を見逃し三振、坂本を二ゴロに打ち取った。テスト入団した苦労人は「自分の役割を果たせればいいと思った」と控えめに喜んだ。
(2010年10月24日付 SANSPO.COM記事より)


プロ野球CS・談話

◇役割果たそうと
 中日・河原 五回1死二、三塁で登板してピンチを切り抜け、「自分の役割を果たそうと思って投げた」。
(2010年10月23日付 時事ドットコム記事より)


落合監督「今季を象徴するような試合だった」(写真あり)

2010/10/22
中日・落合監督、敗戦にも収穫を強調

一気に日本シリーズへの切符を手にすることはできなかったが、中日の落合監督の表情は穏やかだった。

 同点2ランの野本や大島、中田亮ら若手が物おじせずにプレーし、今CS初登板の三瀬、河原の両ベテランも落ち着いた投球を披露。落合監督は「河原らは心配していないし、野本らも、だれが行っても大丈夫」と敗戦にも収穫を強調した。
(2010年10月22日付 SANSPO.COM記事より)
2010/10/19
セントラル野球連盟 出場選手登録および登録抹消公示

CSでのベンチ入りメンバーに河原投手の名前が!
2009/10/11
河原CS青信号

ベテラン右腕に“青信号”が点灯した。フェニックス・リーグの西武戦が10日、宮崎の串間球場であり、中日・河原純一投手(37)が1イニングをパーフェクトに抑えた。故障で不本意なシーズンを送った男が復調を証明。CSに向けてまた一人、役者がそろった。
(2010年10月11日付 中日スポーツ記事より)
2009/10/8
岩瀬・高橋・浅尾だけじゃない!!

中日の河原純一(37)、小林正人(30)、鈴木義広(27)、清水昭信(26)4投手が7日、宮崎でのフェニックス・リーグに合流した。4投手は同日のヤクルト戦(西都)に臨み、それぞれ1イニングずつを無失点。クライマックスシリーズ(CS)へ向け、リリーフ陣の準備は着々と進んでいる
(2010年10月8日付 中日スポーツ記事より)
2010/10/2
セントラル野球連盟 出場選手登録および登録抹消公示

今季最終戦でついに一軍登録されました。
2010/7/28
セントラル野球連盟 出場選手登録および登録抹消公示

 河原投手が登録抹消になりました。何があったのか詳細はわかりませんが、おそらくどこか故障したものと思われます・・・。
軽症であることを祈るばかりですね。再登録は8月7日以降可能になります。
010/7/11
落合監督「ずっと待ってた」河原復活

 頼れるベテラン右腕が帰ってきた。この日、1軍に登録されたばかりの中日河原純一投手(37)が、6回の1イニングをピシャリ。「力は入っていたけど、甘い球もあった。今日は変化球が悪かったので直球でいった。谷繁さんのリードに助けてもらった」。2死一塁から長野を中飛に打ち取ると涼しい顔でベンチに戻った。

 今年のキャンプは独自調整を任され、2軍でスタートしたが、春先もなかなか調子が上がらず、開幕1軍を逃した。右肩に違和感を覚え、4月中旬からは約1カ月半も試合で投げられない日々が続いた。だが、気持ちを切らさず「早く温かくなれ!」と、じっとこの日を待ち続けた。

 野球浪人を経て昨季は貴重な中継ぎ右腕として復活した。年俸が600万円から3000万円に上がっても、愛車は昨年から愛用するマウンテンバイク。自宅からナゴヤ球場までは片道約30分の通勤を続けた。去年と変わらない姿は、マウンドでも一緒だった。

 落合監督も「あいつはあれだけのコントロールがあるから大崩れしない。あいつをずっと待っていた」と、今季初登板でホールドで飾った河原の1軍復帰を手放しで喜んだ。G追撃へ、中継ぎ陣に頼れるワンピースがまた1人加わった。
(2010年7月12日付 日刊スポーツ記事より)

2010/7/11
〈神奈川・負けてたまるか 公立球児の挑戦1〉熱投16回 僕らの原点

 1990年の高校野球 神奈川県予選 準々決勝で、元横浜の川村丈夫投手と河原投手が延長16回を投げ合った伝説の試合について、当時のエピソードや心境など興味深い話が聞けます。
(2010年6月30日付 asahi.com地方大会ニュースより)

2010/7/11
中日・落合監督が河原を絶賛 「アイツをずっと待っていた」

 中日は11日、巨人を5対3で破り、3連勝を飾った。初回にブランコの2ランなどで4点を奪い、6投手の継投で巨人の反撃を振り切った。落合博満監督は「一番難しい試合だ。相手も3つはやられたくないだろうし、先に4点取ったからなおさらややこしくなる」と試合を振り返った。5回3失点で降板したチェンについては、「もうちょっと自分を信用していいのに、自分にブレーキをかけておかしくなった。それが去年と今年の違い」と手厳しかった。
 リリーフ陣が好投したことを問われると、「だから河原(純一)を1枚入れたんだ」と、この日に初昇格して1回を無失点に抑えた河原の名前を挙げ、「あれだけのコントロールを持っていれば大崩れはしないだろうし、自分で考えて投げられるヤツはほかにいない。アイツをずっと待っていた」と、37歳のベテランを絶賛した。
(2010年7月11日付 スポーツナビ記事より)

2010/7/11
セントラル野球連盟 出場選手登録および登録抹消公示

 河原投手がついに一軍に登録されました!!!

2010/4/7
DRAGONS OFFICIAL FARM REPORT

 二軍で今季初登板した河原投手の写真が掲載されています。

2010/4/5
河原、久々登板まずまず

体の張りで調整が遅れていた河原が、中日屋内練習場で春季キャンプ以来となる実戦形式の打撃練習に登板した。福田、堂上直、中田亮を相手に変化球を織り交ぜ45球投げた。「思ったところに投げられた」と河原。稲葉投手コーチは「ここにきて一気に状態が上がってきた」と話した。今後は6〜8日のウ・リーグのオリックス3連戦(長良川)で実戦復帰する見込み。
(2010年4月5日付 中日スポーツ記事より)


2009/12/8
河原、城島怖くない

 中日・河原純一投手(36)が7日、中日屋内練習場で自主トレを開始した。3月26日の開幕・広島戦(ナゴヤドーム)に向けて約1カ月もの“前倒しスタート”。さらに今年は貴重な中継ぎとして活躍したが、来季は阪神の新戦力・城島健司捕手(33)を封じることを誓った。

 36歳ゆえの“前倒し”だった。中日屋内練習場の片隅で黙々とネットに向かって投げ込む河原の姿があった。この時期にベテラン選手が自主トレを開始するのは異例。今季、1年間の浪人生活を経て再ブレークした右腕が早くも動き出した。

 「年だから、すぐに体が動くわけじゃないから。きょうからボールを握ろうと思って。(これまでより)1カ月くらい早いかな。開幕に? しっかり合わせますよ」

 今年はキャンプこそ足裏の痛みなどで出遅れたが、5月15日の昇格後は安定した投球を披露。中継ぎとして44試合に登板、防御率1・85の好成績を残した。年俸も600万円から3000万円に大幅アップ。つまり、来年は今年以上の期待がかかる。開幕日は今年よりも1週間早くなるが、出遅れるわけにはいかない。だからこの早い時期の始動を選んだ。

 新たな敵にも無関心だった。河原の役割は主に“右封じ”。今年は巨人・坂本に4の0、横浜・内川に3の0と封じ込めてきたが、今オフ、阪神に右の強打者である城島(前マリナーズ)が加入。05年の西武時代には6打数2安打1本塁打と打たれているが…。

 「城島? 気にならないですね。昔といまとではスタイルも違う。それに対戦するときには詳しいデータがあるでしょうから。コントロールさえしっかりすればね」

 いまの河原の武器は抜群の制球力。「だからこの時期が重要。コントロールをつけるために2月までに下半身と体幹を鍛えたい」。この日も名古屋市内の自宅マンションから約30分をかけて自転車通勤した苦労人は、やるべきことが分かっている。
(2009年12月8日付 中日スポーツ記事より)

2009/12/2
河原“リストラの星”だ!

 一度は地獄を見た男が“リストラの星”になった。中日・河原純一投手(36)が1日、名古屋市中区の球団事務所で契約更改交渉に臨み、400%アップの年俸3000万円でサインした。今季は浅尾、岩瀬へつなぐ勝利の方程式の一翼として大活躍。浪人生活を経て竜投に加わった河原が、5倍という大幅アップで復活の1年を締めくくった。3年契約を結んでいる和田一浩外野手(37)は現状維持の2億8000万円で更改した。

 胸のすくようなカムバックを象徴する契約交渉になった。ものの10分足らずでサインを済ませ、会見の席に着いた河原の表情はすっきりとしていた。

 「ドラゴンズがボクに手を差し伸べてくれて、少しは恩返しの働きができた。きょうはあまり金額は考えていなかった。最初から判を押そうと思っていました」

 44試合で負けなしの3勝、防御率は1・85。開幕当初は不安定だった中継ぎ陣の“救世主”となった。球団側は今季の600万円から一気に5倍に増える3000万円を提示。井手取締役編成担当は「ここという場面は全部抑えた。あのポジション(中継ぎ)では最大の評価。他に人がいなかった」と絶賛した。

 07年に西武を戦力外となり、強いられた1年間の「空白」が逆に肥やしになった。河原は言う。「浪人中は客観的に試合を見られた。その気持ちを今季のマウンドに持って行けた。第三者的に自分の投げている姿を見ることができた」

 若いときは「いいところを見せよう」と躍起になった。今は違う。「ボクがダメなら傷を最小限にとどめて次にバトンを渡せばいい。『自分が何とかしよう』とは思わなかった」。オレがオレが−という集団の中であえて“主張”を封印。この力の抜け具合が強みに変わった。

 「ウチの若手はすごいタマを投げる。でも、大切なのは気持ちの持ちよう。特にリリーフはあやふやな気持ちでマウンドに立ったらダメ」と河原。浅尾、高橋とイキのいい剛腕がそろうブルペンにあって、“先生役”としても存在感は絶大だ。

 かつては巨人でストッパーとして活躍。年俸は最高で7500万円(03年)に達した。“リストラ”でいったん「0円」に下がってしまったが、これでV字回復。河原の復活ストーリーはまだまだ続く。
(2009年12月2日付 中日スポーツ記事より)


中日河原は5倍増、リストラ組の星だ

リストラ組の星になった! 中日河原純一投手(36)が1日、名古屋市内の球団事務所で契約更改を行い、600万円から2400万円増となる3000万円でサインした。1年間の野球浪人を経て昨秋にテスト入団した苦労人は、今季は右のセットアッパーとして3勝15ホールド、防御率1・85の活躍。5倍増の一発更改となり「今年1年投げられてうれしかった。テストでとってもらった気持ちを忘れずに、来年もやっていきたいと思う」とさらなる飛躍を誓った。(金額は推定)

 プロの世界で天国と地獄を味わった中日河原が、再び大きな夢をつかんだ。年俸600万円から一気に5倍のジャンプアップ。最近の中日の日本人選手では、07年オフに600万円から5000万円に上がった中村紀(現楽天)に次ぐ上昇率だった。

 今季の中日では30万ドル(約2700万円)から6倍の180万ドル(約1億6200万円=契約時1ドル90円換算)に上がったブランコに次ぐ昇給率。迷わず1発サインした河原は「お金のことよりも、今年1年投げられてうれしかった。今年に限っては恩返しというか、そういう働きはできたかな」と、少しだけはにかんだ。

 94年にドラフト1位で巨人に入団した。02年には守護神として日本一にも貢献し、年俸も7500万円で更改。だが、05年に西武にトレードとなった後は結果を残せず、07年オフに戦力外となり、08年は野球浪人として1年を過ごした。「ただ、あきらめられなかった」。今季は5月中旬に1軍に昇格し、44試合に登板。右のセットアッパーとして3勝15ホールド、防御率1・85の好成績を残した。

 「1年間、実戦の場を離れたことで、自分を客観的にみることができ、その気持ちをマウンドにも持っていくことができた」。そして見事な復活。井出編成担当も「ここというところは全部抑えてくれた。今年、あのポジションを任せられる人は他にいなかった」と抜群の安定感を評価した。

 契約の席では、若手投手への指導役も依頼された。「リリーフは、投げる前にきちっと気持ちの整理をして投げることが大事。そういう話をしていきたい」。来年はブルペンの最年長として、後輩たちに河原イズムも伝えていく。

 年俸3800万円だった07年以来、3年ぶりの3000万円台となったが、今後も車の購入予定はなく愛車はママチャリのまま。「ドームは無理だけど、ナゴヤ球場はね」と、来年1月の合同自主トレには今年同様、ナゴヤ球場に自転車で通勤し、キャンプへの体作りに励む。

 もちろん、来季の目標は優勝だ。「優勝できなかったのがすごく悔しい。1年やってこられた喜びより、来年チームが優勝できるように。個人的には最低、今年みたいな野球ができるようにしたい」。衰えるのはまだ早い。中日で見事な復活をとげた右腕は、来季も終盤のマウンドでフル稼働する。
(2009年12月2日付 日刊スポーツ記事より)



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2009/12/1
中日:河原、年俸5倍の三千万円で更改 初の中継ぎで活躍

 中日の河原純一投手(36)が1日、今季の5倍の年俸3000万円で契約を更改した。昨年1年間の「浪人」を経て、中日に復帰。44試合登板し、4年ぶり勝利を含む3勝(0敗)。先行した試合の右中継ぎ(セットアッパー)としての活躍を評価された。

 年俸600万円でテスト入団した河原は、5月に1軍昇格後、主に先発投手を救援。浅尾、岩瀬につなげる必勝パターンの一翼を担った。表情を変えない、落ち着いた投球に井手峻取締役編成担当は「ここという場面で抑えてくれた」。

 巨人では抑えで02年日本一に貢献したが、中継ぎは初めて。「試合中に何度も肩を作るのが大変だった。自分で何とかしようと思わず、次の投手につなげる気で臨んだので、冷静で投げられた」と河原。来季に向けては「1年やれた喜びより、優勝できなかった悔しさが残った。テストで取ってもらった気持ちを忘れずにやりたい」と語った。
(2009年12月1日付 毎日新聞記事より)

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2009/8/14
【中日】河原が2球で満塁斬り今季2勝目

 中日河原純一投手(36)が6回2死満塁のピンチで2番手として登場。2球で狩野を捕邪飛に抑えると、7回にチームが逆転し、今季2勝目を手にした。
「結果的に勝ちにつながってよかった。あんまり力んでもいけないので、できるだけ冷静に投げようと思っていた」。
これでチームも両リーグ一番乗りとなる今季60勝目。首位巨人とのゲーム差を再び2・5に縮めた。
(2009年8月13日付 日刊スポーツ記事より)

2009/7/10
野球クロスロード
“無職男”河原純一、執念の復活。
〜年俸600万円のポーカーフェイス〜


河原さんの活躍が、Numberで取り上げられました。

2009/7/13
中日スポーツ ドラ番記者 2009年7月13日

1490日ぶりの白星にも、河原はそれほど表情を変えなかった。「うれしい」との言葉は本心だろうが、どこか人ごとのようにも聞こえた。

 10日の広島戦(ナゴヤドーム)、10回に3番手で登板して1イニング無失点。その裏にブランコのサヨナラ3ランが飛び出して転がり込んできた中日での初勝利。それでも「ぼくらは勝ちがつくつかないじゃなくて、与えられた仕事をこなせるかどうかが大事だから」。それだけ、登板ごとに抑えなければという重圧と戦っている証拠でもある。

 「先発だったら、気にすると思いますけどね」。巨人、西武時代には先発も抑えも経験した。中継ぎという立場も、実に客観的に理解している。まるでマウンドにいる自分を第三者として見ているようだ。そんな達観ぶりが、快投を生み出しているのではないだろうか。


2009/7/11
中日河原1490日ぶり白星、浪人の末に…

 1490日(約4年1カ月)ぶりの白星の味だった。今季中日に加入した河原純一投手(36)が初勝利。チェン、浅尾の後を受けて登板した延長10回、1死一、二塁のピンチを招いたが、赤松をフォークで併殺打に仕留め、直後のブランコのサヨナラ3ランを呼び込んだ。

 「皆のおかげで勝ち星をいただけた。とにかくチームが勝てたことがなによりうれしい」と喜びをかみしめた。サヨナラの瞬間を肩のアイシング中で見られなかったが、ブランコが生還すると、マウンド上で見せていたトレードマークのポーカーフェースを崩し、笑顔で力強く握手を交わした。

 94年にドラフト1位で巨人に入団。先発として活躍し、02年には守護神として日本一に貢献したものの、05年にトレードで西武に移籍すると、その後は2勝しか挙げられなかった。07年オフに戦力外通告を受けた。08年は野球浪人として母校駒大で背番号のないユニホームで学生に交じりながら練習を続けた。そして昨年11月に中日にテスト入団。プロ野球界で天国と地獄を存分に味わった36歳が、西武時代の05年6月11日の巨人戦以来、4年ぶりとなるプロ28勝目をつかみ、再び花を咲かせた。

(2009年7月11日付 日刊スポーツ記事より)

2009/7/11
河原、1490日ぶり勝った

 その日がいつきてもおかしくなかった。それほどの好投を続けてきた河原に、ついに移籍初勝利が転がり込んできた。

 「みんなのおかげで勝ち星をいただきました」

 苦労人らしく、西武時代の05年6月11日の巨人戦(東京ドーム)以来、1490日ぶりの白星の味を控えめに語った河原。「きょうはチェンも浅尾もいいピッチングをしていたので、チームが勝ったことが一番うれしい」。普段は先発や他の投手の白星を守るために力を尽くす男は、拾ってくれたドラゴンズのため、を強調した。

 9日のヤクルト戦(神宮)では満塁でマウンドに上がり、2人の走者をかえして前任者の自責点を増やしてしまった。その失敗を取り返すチャンスは延長10回。先頭・広瀬に左前打され、犠打で1死二塁。

 迎えた代打・嶋を歩かせることに、何のためらいもなかった。「若いころだったら歩かせてもいい場面で、ボールでもバットの届くところに投げちゃって痛い目にもあった。でも今は(嶋を歩かせても次打者の)赤松君を抑えれば、次の(左打者)東出君には左ピッチャーを出すという選択肢もある、というぐらいに考えられる」。

 1年間のブランクを乗り越えて復活したからこその冷静さに、天も味方した。一、二塁で赤松の投手返しをグラブではじいたが、これがピッタリ二塁ベース上へ好アシスト。回り込んだ井端が捕球と同時にベースを踏み一塁へ転送、併殺が完成しピンチを脱した。

 ウイニングボールは歓喜の左中間スタンドに飛び込んでしまい手元にはない。しかし「ぼくはいらないですよ」と苦笑いした。河原にとっては、ドラゴンズの一員としてマウンドで投げる1球1球が存在を示すあかしだ。 
(2009年7月11日付 中日スポーツ記事より)


2009/7/10
中日・河原、05年以来の白星「うれしい」

中日3番手の河原が、西武時代の2005年6月に古巣の巨人からマークして以来の勝利を手にした。

 0−0の延長十回に登板。安打と四球などで1死一、二塁とされたものの、赤松を内野ゴロ併殺に打ち取って0点に抑えると、その裏にブランコのサヨナラアーチが飛び出した。

 1年間の浪人生活を経て、今季から中日に加わった36歳は「チームが勝てたのが何よりうれしい。みんなのおかげで勝ち星をいただいた」と喜びをかみしめた。
(2009年7月10日付 サンスポ記事より)


2009/7/6
経験の河原 G打線寄せ付けず!

  河原は顔を半ば引きつらせて一段高いところに立っていた。谷繁が「隣にいるおじさんがよく頑張ってくれるんで」とおどけて、ようやくほおがゆるんだ。何年ぶりだろう。「覚えていないです。ジャイアンツの時以来じゃないですか」。お立ち台の上で、河原は久しぶりに何万人もの祝福の視線を浴びた。

 思い起こしていたのは重ねた苦労と感謝の念。2007年オフに西武から戦力外通告を受けた。昨年はどこにも所属せず“浪人生活”を選んだ。母校駒大のグラウンドで再起を目指し、トレーニングを積んだ。昨年オフに中日の入団テストを受けて合格。苦労の末たどり着いた入団後初のお立ち台だ。「この場所にまた立てるとも思っていませんでした。中日ドラゴンズにこういうふうに使ってもらって恩返ししたいですし、去年はいろんな人に助けてもらった。(この喜びは)その人たちに伝えたい」。インタビューを受けるうち、顔を笑みが覆っていった。

 目を見張る好投だった。リードはわずか1点の7回にマウンドに送られた。1番坂本からの好打順を3人斬り。最後の小笠原はフォークで空振り三振に切った。「5番から3人左だからそこまでのばせれば(左に継投して)0点に抑えられる。僕が1人でどうこうしようとは思わない。そこで僕がと思うと力みもしますけど。あんまりせっぱ詰まった感じはなかったですね」と、豊富な経験に裏打ちされた心の余裕を明かした。

 落合監督も「1軍の修羅場をくぐってきた選手。顔で野球やるって言うのを」と、河原の経験に信頼感を寄せている。6月21日のオリックス戦(ナゴヤドーム)以降、勝ち試合での登板は4試合。すべて右のワンポイント起用だった。この日は競り合いの中で浅尾−岩瀬の必勝リレーへのつなぎ役で1イニングを任された。投手陣の中での立ち位置は前進している。

 かつて自分が守護神を務めた巨人への意識を問われて「もうないですね。西武時代は交流戦で特別な感じがしたものですけれど」とさらりと答えた大ベテランが、中日中継ぎ陣の幹を一回り太くした。

(2009年7月6日付 中日スポーツ記事より)


2009/7/5
【感球自在】中日・河原が歓喜のお立ち台 1年間の浪人生活乗り越え

 それは、心の奥底から自然と出た一言に違いない。「この場所にまた立てるなんて思わなかった」。試合後のお立ち台で感慨に浸ったのは、昨年1年間の浪人生活を経て、今年から中日で現役復帰した河原。古巣の巨人を相手に七回に2番手で登板、1回無失点と好投した36歳の苦労人は、満員の観衆に向かって深々と一礼した。

   栄光と挫折−。右腕のプロ野球人生はこの言葉に凝縮されている。1995年にドラフト1位で巨人に入団。1年目に8勝を挙げ、原監督が指揮官だった2002年には抑えに転向し28セーブ。その年の日本シリーズでは胴上げ投手になった。

 転機が訪れたのは05年。西武へトレードで移籍したものの、07年には戦力外通告された。同年オフにトライアウトも受けたが、獲得の意思を示す球団はなかった。

 脳裏をよぎった引退の2文字。だが、プロ野球の舞台をあきらめなかった。昨年1年間は母校の駒大でトレーニングに励み、シーズンオフに中日の入団テストを受けて合格、今年5月に1軍昇格を果たした。落合監督は言う。「一番修羅場をくぐってきた選手」。指揮官は、地獄を見た男の経験を高く買っている。

 中日での主な仕事は中継ぎ。不慣れな環境よりも、今は投げる喜びの方が大きい。「任された仕事を、しっかりとやるだけです」。挫折を乗り越えた数だけ、人は強くなれる。

(2009年7月5日付 産経新聞記事より)


2009/7/5
DRAGONS OFFICIAL BLOG 「勝ち越しです〜。 やりました。 」
DRAGONS OFFICIAL CAMERA 「勝ち越しです!! 」

ともに河原投手のコメントと写真が掲載されています。

2009/7/4
中日移籍後巨人と初対決…河原純一投手を直撃

  かつて原巨人の守護神として日本一に貢献した河原純一投手(36)が3日、中日移籍後初めて巨人戦に登板し、1イニングを無失点に抑えた。試合後、万感胸に迫る河原を直撃した。

 河原は1995年から10年間巨人に在籍し、ルーキーイヤーにいきなり先発ローテの一角を任され8勝、2002年には守護神としてシーズン28セーブを挙げて日本一に貢献した。05年から西武に移籍。07年オフに戦力外通告を受け、トライアウトを受験したが、獲得球団は現れなかった。昨季は異例の“浪人”を経験し、昨秋の中日の入団テストに合格して球界復帰を果たした。

 中継ぎとして今季11試合に登板し、計8回を投げて失点はわずか1。防御率1.13の好成績だ(3日現在)。

 −巨人戦はやはり意識した?

 「ない、ない、ない、ない。特別な意識なんてもうないですよ。西武時代にも投げていますし、巨人時代に一緒にやった選手なんて野手ではもう…誰だろう? 慎之助(阿部)、鈴木尚広、それにきょう1軍に上がってきたばかりの捕手の加藤くらい。ユニホームも僕がやっていた頃と違いますから」

 −9回に登場し1イニングを無失点に抑えたが、自身が巨人を去った後に入団した坂本には四球を与えた

 「ホームランも結構打っているバッターですからね。せっかく1点差でマウンドに上がったのに、ホームランを打たれたらドッチラケでしょ。それだけは避けようと警戒しました」

 −昨年1年間は、母校の駒大で練習していたとか

 「駒大で練習させてもらったり、他の場所でトレーニングを積んだりしていました。駒大の先輩にあたる森さん(バッテリーチーフコーチ)にお願いしてテストを受けさせていただきました」

 −“浪人中”はさぞ不安だったのでは

 「うーん。でも結構、1度やると決めたらグズグズ言わずにやり通せる性格なんですよ」

 −巨人時代に、4番打者だった落合監督とチームメートだったことも?

 「2年間重なっています。今は、その頃のことを話したりはしないですけどね」

 −先発復帰への野望は?

 「ない、ない、ない。与えられた仕事を頑張るだけです。まあ、経験はありますから、ランナーのいる難しい場面で出ていってチームに貢献したい気持ちはありますけどね」

 −ところで、36歳となった今も独身?

 「ええ、独身ですよ」

 巨人のメンバーを眺めて、改めて世代交代を実感しつつ、生き残りに必死である。

(2009年7月4日付 ZAKZAK記事より)

最後の質問がZAKZAKらしいですが、しばらくどこのスポーツ紙でも取り上げてもらえてなかったので、ありがたいですね。

2009/5/25
河原、驚きの投入 1イニング無失点、完封リレー演出

 
帰ってきた。決してあきらめなかった場所に、河原純一投手(36)が2年ぶりに仁王立ちした。巨人、西武を渡り歩き、1年のブランクを経たさすらいの投手が、野球人生の総決算を求めてたどり着いた中日で、堂々のデビューを飾った。8回1イニングを無失点。ベンチへ戻る表情は全盛期のようにポーカーフェース。ナイン総出のハイタッチを平静に受け止めた。

 「マウンドに上がって、『そうだ。ここがナゴヤドームだ』と思いました。何かフワフワした感じでした」

 驚きの投入だった。「1−0」で迎えた8回。これまで通りの継投なら、セットアッパーの浅尾、もしくは平井だったはず。そんな大方の予想に反して「河原」。07年8月31日の楽天戦以来、632日ぶりとなる復帰戦だった。

 落合監督は「(河原は)経験もあるし、どっかで使わないと。一番苦しいところで使えばいい」と言う。浅尾らが不安定な投球を続けている今、ベテランの「経験」にすべてを懸けたのだ。

 信頼に河原は応えた。最速は140キロ。コーナーを突く投球術は全くさび付いていなかった。最後は2死二塁で4番小谷野をフォークで空振り三振。「甘くなるくらいなら、ワンバウンドでもいいと思っていた。そのあたりは冷静に考えられた」と、笑顔で振り返った。

 昨年の今ごろは、母校の駒大などで後輩らと一緒に練習していた。見通しの立たない毎日。それでも日本でプロに復帰するという意思は変わらなかった。「海外でのプレー? 頭になかった。日本の野球がどれだけレベルが高いかも知っている。そこでプレーしたかった」。西武を戦力外になる原因になった右ひざの故障を癒やしつつ、ひたすら汗を流していた。

 昨秋中日にテスト入団がかなってからは、2軍のナゴヤ球場へ自転車で通い詰めた。かつての巨人のリリーフエースが、裸一貫になって出直した。強い決意が復活への道筋をつくった。

 「きょう抑えたからといって喜んではいられません。まだ先がある。一球一球しっかり投げたい」。手薄なブルペンに頼もしい男が加わった。
(2009年5月25日付 中日スポーツ記事より)

その他の記事
河原 632日ぶり登板で完封リレー演出!(スポニチ)
632日ぶり河原!1点差8回を0封ホールド(スポーツ報知)
中日・河原 632日ぶり復活!1回0封(デイリースポーツ)
【中日】河原が2季ぶり登板1回無失点(日刊スポーツ)


2009/5/24
河原が2季ぶり登板!「ほっとしている」

【中日1−0日本ハム】中日の河原が2季ぶりの登板を果たし、8回を無得点に抑えた。

 かつて巨人で抑えとして活躍し、2007年オフに西武を自由契約に。獲得の声が掛からなかった昨季は母校の駒大などで練習し、昨秋の入団テストで中日に加入した。

 「すっぽ抜けたりして大変だった」と苦笑いで投球を振り返ったものの、2死二塁ではフォークボールで小谷野を空振り三振に仕留めた。「ほっとしている。でも、きょうのことはこれで終わり」と、試合後は早くも次回登板へ意識を向けていた。
(2009年5月24日付 スポニチ記事より)
2009/5/15
河原投手、一軍昇格決定!!!

思っていたよりも早く一軍昇格が決定しました!!
これからはドラゴンズの試合から目が離せません!!

2009/4/9
河原、564日ぶり公式戦 1イニングピシャリ、2奪三振

昨年オフ、入団テストに合格して中日入りした河原純一投手(36)が8日、ウエスタン・リーグのソフトバンク戦(雁の巣)で入団後公式戦初登板。7回の1イニングを打者3人でピシャリと抑え、2三振を奪った。

 この試合に登板するまでは、3月18日のBCリーグ福井との交流戦で1イニング無失点、4月4日のトヨタ自動車とのプロ・アマ交流戦で2イニング無失点と2試合に登板していた。そしてこの日、やっと公式戦でアピールするチャンスが巡ってきた。

 西武時代の07年9月22日、湘南(横浜2軍)戦以来564日ぶりの公式戦登板だった。巨人、西武で197試合に登板し、27勝40セーブを挙げている36歳のベテラン右腕は「公式戦は久しぶりだったので、ちょっと緊張しました。何とか抑えられてホッとしています」と話した。
(2009年4月9日付 中日スポーツ記事より)

2009/2/15

本日のNHK「サンデースポーツ」内で河原投手の特集が放送されます。
HPに記載はありませんが間違いなく放送されますので、録画の用意をお忘れなく!!

2009/2/4
NHK「サンデースポーツ」内で河原投手の特集が放送されることになりました!!
2月15日放送予定ですが、変更になる可能性もありますので、正式に決まり次第また報告します。

2009/1/17
河原 トレーニング兼ね“チャリ通勤”

 中日・河原純一投手(35)が16日、今季の通勤手段を自転車に決めた。一昨年オフに西武を解雇された後、1年間の野球浪人を経てテスト入団した苦労人。名古屋での再出発に際して、愛車を手放し、トレーニングを兼ねたチャリンコ通勤だ。
 「名古屋を知るためにもいいし、練習にもなる。車を処分したっていうのもあるけど、晴れの日は自転車で通います」。名古屋市千種区の自宅から、ナゴヤ球場まで30分。自主トレ期間中も、シーズン中も、サイクリングがアップ代わりになる。
 1年のブランクを埋め、戦力になってみせる。「信頼を勝ち取ります。キャンプ初日からアピールです」。通算27勝40セーブの細腕右腕。また野球ができる喜びをかみしめながら、もう一度輝きを取り戻す。
(2009年1月17日付 デイリースポーツ記事より)

2009/1/16
河原、初日ブルペン入る 春季Cいきなり猛アピールだぁ

 河原純一投手(35)が、春季キャンプ初日にブルペン入りする考えを示した。ナゴヤ球場での合同自主トレに参加し、「初日からでも入ろうと思っています」と話した。意欲的な調整で開幕1軍へ猛アピールするつもりだ。

 巨人時代に抑えを務めるなど実績は十分だが、現役復帰は2年ぶりとあって、決して開幕1軍が保証された立場ではない。2月1日のブルペン入りへ向け、年末年始も休まず、主に母校の駒大で走り込みなどで下半身を鍛えてきた。

 この日の練習も若手に交じり、全メニューをこなした。森バッテリーチーフコーチは「岩瀬につなぐポジションが大事。1イニングを任せるつもりで取った」と話した。「(キャンプまでに)一通りはできるようにしておきます」と河原は期待に応えるため、調整を続ける。
(2009年1月16日付 中日スポーツ記事より)


今季は河原→岩瀬の勝利の方程式が見られるかもしれません!

2009/1/15
合同自主トレがスタートしました

自主トレの様子がDRAGONS OFFICIAL CAMERAに写真付きでアップされています。

2009/1/13
中日河原が新天地で復活へ自主トレ

 
元西武で、昨秋のキャンプでテストを受けて入団を果たした中日河原純一投手(35)がナゴヤ球場で自主トレを行った。東京から名古屋への引っ越しを終えたばかりという河原は「ようやく引っ越しが終わったので、体を動かそうと思って来ました」と新天地での復活に意気込みを見せた。

(2009年1月13日付 日刊スポーツ記事より)

2008/12/13
中日が背番号変更

河原投手の背番号が「60」と発表されました!

2008/11/22
河原、好感触だ70球 「いい状態維持」来月も休みなし

テスト入団した前西武の河原が今秋最多となるブルペン投球を披露。変化球を交えて70球、好感触をつかんでいた。

 「この時期としてはいい状態だと思います。これくらいで(2月の)キャンプに入れば(調子が)上がってくると思う。(キャンプ地は)暖かいからね」。秋季練習は残り数日、ブルペン入りはあと1回を予定している右腕は「状態を維持したい」と12月も練習していくことを説明した。

(2008年11月22日付 中日スポーツ記事より)


好調を維持しているようです!

2008/11/21
河原純一投手です

DRAGONS OFFICIAL CAMERAにて写真つきで河原投手の紹介記事がアップされました!

2008/11/21
河原、無職からの再出発 正式契約プロ復帰

 中日は20日、名古屋市内で河原純一投手(35)=前西武=と、年俸600万円で正式契約をかわした。背番号は未定。今年は「無職」だった右腕が、新天地で野球人生のラスト勝負に挑む。

 目の前に置かれた契約書の金額欄には、6の次に0が6個並んでいた。年俸600万円での再スタート。浪人・河原がプロ野球選手に復帰した瞬間だ。

 「今年1年は何とか復帰したいという思いでやってきたので、再び勝負の世界に戻ってこられることは気持ちが引き締まるし、緊張もします」

 昨オフ限りで西武を退団。トライアウトを受験したが、声はかからず。浪人生活を余儀なくされた。つまりは無職。当然ながら「無収入」。そしてチームメートもいない“三無”で、河原は1年間を貫いた。

 「1人で練習するということが(野球人生で)初めてだったので、つらさは実感できました。ただ、あきらめきれないという思いだけは持ち続けられたので…」

 母校・駒大のグラウンドは使用できたが、学生と合同での練習はできない。孤独で、先の見えぬ河原をサポートしてくれたのが、岡山県倉敷市でスポーツジムを営む駒大の先輩だった。

 「そこでトレーニングを1年間、みっちりやることが結果的にはプラスになったんじゃないかな…。今はそう思える部分もあります」

 現役から遠ざかる要因となったのは右ひざの故障。浪人したこの1年、時間だけはたっぷりあった。東京から岡山に通っては、患部周辺の筋肉を鍛えた。遠回りに見えた道が、実は復帰への近道だったことになる。しかも、その先輩は元捕手。投球練習に近いレベルならできた。

 「ただ、実戦はやっていないので。感覚的なところですから、これから数多くこなしていかないといけませんね」

 マウンドに立てる。打者に投げられる。そこが河原のいう「勝負の世界」。飢えも渇きもこれからの1球、1球が癒やしてくれるはずだ。

(2008年11月21日付 中日スポーツ記事より)


駒大にいない時は、倉敷まで行っていたんですね。東京と岡山の往復はさぞ大変だった事と思います。一軍で活躍して、本当の意味でこの1年間の苦労が報われる時が来ることを願ってやみません。

2008/11/20

中日、元西武の河原と契約

中日は20日、元西武の河原純一投手(35)と年俸600万円で契約した。背番号は未定。
 河原は駒大からドラフト1位で1995年に巨人へ入団。2005年に西武へ移籍したが、右ひざの故障などで昨オフ戦力外となった。その後は駒大などで練習を続け、このほど中日のテストを受けて入団が内定していた。通算197試合、27勝37敗40セーブ。
 河原は「自分の持ち場でしっかり投げたい」と抱負を語った。金額は推定。

(2008年11月20日 時事ドットコム内記事より)


内定が決まってはいましたが、今日ようやく正式に中日ドラゴンズの一員になりました。これで一層野球に打ち込めると思います。

2008/11/9
「中日・河原」緊張の初練習 昇竜館で寝泊まり、ゼロから再出発

元巨人の抑えのエースがナゴヤ球場で野球人生の再出発を切った。河原が、初めて中日の一員として練習に参加。にこやかな表情でキャッチボールなどに汗を流した。

 「『うれしい』というより、緊張で身が引き締まるような感じです」。ルーキーのように初々しい笑顔で「中日・河原」としての初日を振り返った。

 心はすでに新天地での「勝負」に向けられている。07年に西武から戦力外通告を受ける遠因となった右ひざの故障はすでに完治。“野球浪人”だった今季は母校駒大で後輩たちと一緒に練習しコンディションも万全だ。

 「これからは投球練習もしていく。来春のキャンプでは初日からガンガン投げられるようにします」。層の厚い中日投手陣の一角に割って入るべく、冬場も練習して“復活”を見せつける意気込みだ。

 文字通り「一からの出直し」。25日まで続く秋季練習中はナゴヤ球場の隣の合宿所「昇竜館」に寝泊まりする。プロ通算27勝40セーブ。02年には巨人のストッパーとして西武との日本シリーズでは胴上げ投手にもなった河原が、原点に返って若手選手と野球漬けの毎日を送る決意だ。

 「ここの施設は素晴らしい。室内練習場も広いですね」と河原。野球を存分にできる喜びを、あらためて実感していた。

 正式契約は後日で、背番号も未定。それでも河原にはもはや迷いはない。「任されたところでしっかり投げられるように、しっかり準備したい」。頼もしいベテラン右腕がチームに加わった。 

(2008年11月9日付 中日スポーツ記事より)


昨日(11/8)中日の秋季練習に初参加したようです。
早く今の環境に慣れて、野球に集中できるようになるといいですね。

その他の記事
河原、2軍寮から再出発!秋季キャンプ緊急参加(スポーツ報知)写真あり
新竜戦士・河原完全燃焼誓う(デイリースポーツ)
元レオ河原、ドラ秋季練習に初参加(日刊スポーツ)写真あり

2008/11/1

“浪人”河原が中日へ!現役復帰

腕がちぎれても構わない。あらん限りの力を振り絞った。表情からは緊張感と悲壮感が漂う。視線の先には中日・落合監督。森林に囲まれた愛知県阿久比球場。空気がピーンと張り詰めた。元巨人、西武投手の河原純一氏(35)が31日、落合竜の入団テストを受け、合格キップを勝ち取った。

 05年に右ひざ前十字じん帯断裂の重傷を負った。ケガの後遺症から立ち直れず、昨年オフに西武から戦力外通告を受けた。合同トライアウトを受験するも、声は掛からず。野球を続けたい-。母校・駒大のグラウンドに足を運び、知人のジムで体を鍛えた。1年間の浪人生活。願いは通じた。

 「浪人してまで野球を続けたいっていうアイツの思いだよな。1年間だけチャンスをやる。それでダメならユニホームを脱がせる」と森バッテリーチーフコーチ。情熱プラス、94年にドラフト1位で巨人に入団した潜在能力を買った。

 来季には36歳を迎える。野球人生は残り少ない。「もう右ひざの違和感もないですし、こうやってチャンスをもらえたことに感謝してます」。通算27勝40セーブの細腕右腕が、落合再生工場で輝きを取り戻す。

(2008年11月1日付 デイリースポーツ記事より)


4日の正式発表を待たずに、中日入団が決定しました!!
河原さん、おめでとうございます!!!
この一年間の苦労が報われましたね。
チャンスを与えてくださった落合監督、森コーチ、本当にありがとうございました。

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オレ竜来季構想 森野三塁、ノリ一塁(スポニチ)
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2008/10/31
中日が元巨人・河原をテスト 現役復帰へ意欲

中日は31日、かつて巨人で抑えとして活躍した河原純一投手(35)の入団テストを行った。

 河原は1995年に巨人に入団し、2002年には28セーブを挙げて日本一に貢献。05年にトレードで西武に移籍後は右ひざの故障に苦しみ、昨年オフに自由契約となった。現役続行を望んだが獲得球団はなく、1年間母校の駒大などでトレーニングを積んでいた。

 河原は「けがから3年たって、ようやく違和感がなくなった」と手応えを感じているようで「まだ納得できてない」と現役復帰へ強い意欲を見せた。合否は落合監督がオーナー報告を行う11月4日に決まる見込み。

(2008年10月31日付 サンスポ記事より)


本日中日の入団テストが行われたようです。
4日の速報記事が待ち遠しいです!
(トライアウト前に合否が決まるようなので、11日は受けるかどうか微妙になりました。)

2008/10/28

落合監督、オレが見つける! 12球団トライアウト

・・・そんな中、横浜から戦力外通告を受けた土肥ら実力派とともに候補者となりそうなのが、巨人、西武で通算27勝40セーブを挙げた河原だ。西武を退団した昨オフもトライアウトを受験したが、合格通知は勝ち取れなかった。それでも球界復帰の夢を捨てずに、今年は母校・駒大で練習用のユニホームに身を包みながら“野球浪人”として活動。今回のトライアウトにも再挑戦すると見られている。

(2008年10月28日付 中日スポーツ紙面記事より一部抜粋)


ついに河原投手の記事が掲載されました!
11月11日のトライアウト(横須賀ベイスターズ球場)は受けるようです。
応援に行かれる方は、ぜひ熱い声援を送ってあげてください。

2008/9/9
2〜3球団から入団テストの話を頂いているそうです。

2008/5/25

現在は駒澤大学で(不定期に)練習を行っているようです。

2008/1/23
現在は岡山県倉敷市で自主トレを行っているようです。

2008/1/22

今日は河原投手の35歳の誕生日です。
プロ復帰をファン一同心から願っています。

2007/12/28
河原プロ復帰へ…駒大で孤独な“浪人”

 今オフ西武から戦力外通告を受けた河原純一投手(34)が“白装束”で現役復帰を目指す。

 河原は駒大で通算23勝。94年ドラフト1位で巨人に入団した。02年には守護神として日本一に貢献するなど輝かしい球歴を誇るが、05年に西武移籍後は右ひざじん帯の移植手術を受けるなどケガに泣いた。12球団合同トライアウトでも声はかからず1年間の“浪人”を決意。母校・駒大グラウンドで孤独な自主トレを行う右腕だが、年明けからは学生同様白い練習用ユニホームを着用する。「ひざの状態はいい。基本をしっかりという意味で(練習着は)採寸済み。球団テストも、来年のトライアウトも受ける」と現役復帰に意欲的。在学当時は投手コーチとして指導した駒大・小椋監督も「(復帰への)もの凄い執念を感じる。信じれば必ず現役に戻れる」とエールを送った。

( 2007年12月26日付 スポーツニッポン紙面記事)

情報はこれまで以上に少なくなると思いますが、当サイトではこれからも河原投手を応援し続けます!

2007/10/2
残念ながら河原投手が球団より戦力外通告を受けました。
本人は現役続行を希望しています。
このままで終わるような選手ではありません。
これからも応援よろしくお願いします!

2007/8/31
本日、河原投手が対楽天戦(フルスタ宮城)で今季3度目の先発マウンドに上がります!
ビジターなので、応援に行ける方はよろしくお願いします。
(中止の可能性もあります。天候にご注意ください)

2007/8/23
いよいよ今日、西武移籍後初勝利をあげた記念の地で、ライオンズの危機を救うべく河原投手が一軍のマウンドに上がります!
みなさん応援よろしくお願いします!

2007/5/1
いよいよ明日、河原投手が2005年9月23日以来、586日ぶりに一軍のマウンドに立ちます!

2007/4/29
河原投手が一軍に帯同中!近日中の先発登板が期待されます!!

2007/2/1
今日から2007年の春季キャンプがスタートしました。
河原投手はB班スタートです。

2007/1/22
今日は河原投手の34歳の誕生日です。
今年が河原投手にとって最高の一年となるように、ファン一同心から願っています。

2006/12/6
河原投手の契約更改が行われ、600万円ダウンの3800万円(推定)でサインしました。

2006/2/1
春季キャンプ(〜2/25)が始まりました。
河原投手はB班(2軍)スタートです。

2006/1/27
春季キャンプの壮行会と、駒大の太田前野球部監督の勇退慰労パーティに河原投手が出席したようです。

2005/12/6
河原投手が540万円ダウンの4400万円(推定)で契約更改しました。
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